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第三幕 ネットの蚊帳屋時代


<あんみんドットコム菊屋の誕生>
 

1995年の阪神淡路大震災でインターネットのすごさを知った私は翌年1996年、5月に40歳の誕生日に思い切ってパソコンを購入し、あんみんコム「www.anmin.com」のドメインを取得してホームページを立ち上げました。 
 

関西大震災を通してもインターネットの有用さが認めらはじめていたのですが、自分にとっても「40の手習い」との挑戦であったのです。夜を徹しても、なんとかパソコンを使って、役に立つ存在になるべく、必死で取り組んだ時期でありました。
 

この半径10キロメートル内の地域社会ばかりでなく、日本全国で、そして世界の人々にとっても安眠の担い手になれればと、現場で学んだ「眠り」のことを、いつも店頭で言っていたことを、インターネット上に載せることに励んだのです。
 

1995年3月30日第三子にして三代目・長男が誕生して三代目誕生記念イベントとして、福島大学の大先輩である、まくら博士の加藤勝也氏を磐田にお招きして、市民ホールでの枕の選び方講座を開催したのです。
 


 
 

幸運にも、その年の初めに加藤勝也氏が特許を取得して開発した「ノップス・ピロー」のインターネット通販を私に任せてれたのが大きな励みとなったのです。


このように、菊屋の長男誕生・記念講演会として枕博士・加藤勝也氏をお招きして加藤氏の枕理論と加藤式枕の販売をインターネット所出来きるようになりました。


ジュビロ磐田のホームタウン・静岡県磐田市から安眠の担い手を目指して、世界に向けて安眠の情報発信がはじまりました。



ジュビロ磐田の黄金時代 ドゥンガに抱かれる長男1歳

 
そして、最初に作ったホームページが、―あなたに合った枕を探し提供するーというものでした。
 

たかが枕、されど枕、枕は小さな巨人であること、良質の睡眠を得るためには枕は不可欠で、ピッタリとフィットした枕は正しい寝姿が保たれ、呼吸も楽になり、頚椎を優しく支える、そんな枕はより良い眠りのための大きなファクターだと一生懸命、キーボードにも打ち込んだのでした。
 

さらに、この物理的な睡眠環境のための三つの要因として●正しい姿勢で寝ること●寝床の適度な湿度は50%●適度な温度は33度を保てるように、枕からはじまって、敷ふとんから、掛ふとんへと、現場と同じようにより良い眠りを提供するふとん屋をネット上に載せることをしました。
 

かくして、1996年、Yahoo!Japanのデビューと同じころの菊屋のホームページはデビューしました。まだまだインターネットはマニアックなもので、生業としてご飯を食べていくまではとてもいかなかった時代でした。電話回線を使ってネットに繋げるだけでも高額な費用が掛かったため、夜中の通話料金の安い時間帯にまさに寝る間も惜しんでHPづくりをしたものでした。
 

私のインターネットでのがんばりに家内からは「お父さん、そんなところに座ってばかりいないで、外に出てふとんを売って来て」とハッパをかけられ、足で稼ぐ営業実践もせずに、机(=パソコン)に向かうと言う行動に後ろめたさもあり、パソコンに関わる時間帯を午前3時頃からお店のシャッターを開ける9時までと変更し、後は営業に勤しむ、このみんなが寝ている間に、なんとか活路を開き、世の中の役に立つような存在にしよう。さもなくば、一族郎党は生きていけなくなってしまうと、希望と危機感が、混ざり合ったなかで、懸命にパソコンに取り組んだ時代でした。
 

<ネットでネットが!? インターネットで蚊帳の復活>
 

インターネットはをはじめて、遠方の方からの枕や寝具の注文がありました。枕なんでも相談会などで、何度も何度も問い合わせに応えさせていただき購入していただく場合もありました。インターネットはインタラクティブ(=双方向)で、使用感やアフターフォローなども現場同様にできるのですが、ネットで枕をご購入していただいたお客様から、蚊帳についての問い合わせがあったのです。
店頭ではなかなか見かけられなくなった蚊帳でしたが、ふとん屋としては手の届くアイテムで、すぐに、滋賀県でつくられた蚊帳を京都西川(現・西川)から仕入れてお届けしたのです。
 

自由にパソコンを使うことができる明け方、静かにネットにネットをアップしたのは、この時のことだでした。
 

これが(インター)ネットで(モスキート)ネットのはじまり、蚊帳と菊屋の復活の第一歩でした。百貨店でも見つからない、どこにも販売されなくなった蚊帳を提供させていただくことで役に立たせていただき、生き残れる道が見つけられた時でもありました。
 

ネット上のネット(蚊帳)の中に、一人また一人と蚊帳の中を覗きに来る人が増え、蚊帳がインターネットで 蘇る兆しが見えてきたのです。
 

<地球交響曲・ガイアシンフォニーの上映会>
 

インターネットを通して、蚊帳と菊屋の復活に一役をかったのが、1997年、龍村仁監督の1992年の作品「地球交響曲・ガイアシンフォニー」の上映会であったと振り返ることができます。
 

ガイア(地球)の声が聞こえますか?と呼びかけて、地球と共に生かされている「いのち」に耳を傾けさせられる「癒しの映画」と呼ばれています。この映画は1992年の作品ですが、大きな映画興行会社からは相手にされませんでした。
 

誰もが、ヒットするはずがないとお蔵入りを余儀なくされていたこの映画は、口コミ・口コミで、全国あちらこちらで自主上映会が催されている奇跡の映画として、地球交響曲第一番から二番、三番・・・・八番と今も続いています。
 

この映画に感動した人が、自分の家族、友人、知人などにその想いを心から熱心に語り始め、自らが上映会を開催するようになったのです。
 

素人の”心からの想い”が、ひとりふたりと拡がり、専門家でさえ売れないと判断した映画をここまに、押し上げたのでした。
 

この映画の存在を知った私は40歳定年の「JC・青年会議所」も「商連盟青年部」も卒業していました。
 

この映画の上映会開催したいという想いを、既存の組織ではなく、インフォーマルで新しい共通の目的意識でつながったインターネットのネットワークの力で、ここ磐田の地での上映会が実現されたのでした。
 

1997年5月、インターネットのつながりで全国からたくさんの助っ人が磐田に集ってくれました。
今では当たり前ですが、ガイア史上でも、インターネットによる自主上映会はこれが最初であったと思います。
 

龍村監督は「ネガティブな状況こそポジティブな世界を生み出す源泉」だと語っています。
 

『人間の想像力は、単なる絵空事ではない。人は心に描いたことを必ずいつか実現する。そのために神は、人間に想像力を与えたのだ』=フリーマン・ダイソン(地球交響曲第一番より)ともあります。

 
物売りのふとん屋から脱皮してどうすれば、世の中の役に立ち、喜んでもらえる存在になれるかと、あれやこれやと試行錯誤のうち、40の手習いでホームページを開設したのが1996年。
 

生きる道を捜し求めていた寝具店菊屋よ今こそ変態を!と、ネガティブな状況に置かれている私にとっての挑戦であり「気づき」となったガイアシンフォニーの上映会でありました。この自主上映会から菊屋は本格的に蚊帳の販売と開発を開始しました。


地球とともに共生〜共眠 まさに蚊帳や後ほど展開するアーシングのきっかけとなりました。
 

 
インターネットの力で全国から集まった ガイアシンフォニー ガイアinto磐田 上映スタッフ
 


<顧客の求めにどこまで応えられるか → 生きる力をアップする>
 

最初は家内にもばれないように、隠れて「そおっと」アップした蚊帳への注目は日を追うごとに高まって行きました。
 

蚊帳を扱うようになって、「蚊帳」という字を読めない人が大半なのに、「蚊帳の外」という言葉だけが生き残っていることに怪訝な思いを持ったのです。
蚊帳は歴史の中で消えて行く運命にあるのか。 しかし、蚊帳は死滅した訳ではなかった。
 

小さな子どもがいるので、できるだけエアコンを使いたくないという若い親御さんたち。
アレルギーとか喘息をお持ちで、できるだけ化学的なものを住空間に入れたくないというお客様。
そんな方々がどんどん「蚊帳の中」に戻って来てくれました。蚊帳の外は寂しいけれど、蚊帳の中は心地良い。
 

蚊帳のすばらしさには、私自身が驚かされた。
 

蚊帳には、殺虫剤を使わない、生地そのものの蒸散作用によりエアコンを使わなくても内部の気温を低くする効果がある、といったパッシブな効用ばかりではなく、家族がひとつの空間に集い、穏やかな夜の時間を過ごせるなどの精神上の効果もあるのです。
その昔は、カミナリが鳴ると、蚊帳の中に逃げ込んだほど、安心できる空間でありました。
薄れ行く記憶の中で、たとえば「夏休みにおばあちゃんちで入った蚊帳の記憶」といったものに郷愁を感じる人も少なくなかったのです。


人盛んなりて天に勝ち 天盛んなりて人に勝つ 
そんな時代背景だからこそ、蚊帳のもつ「共生・共眠」の役割も見直されたのでしょう。
 

環境にやさしいばかりか、その心理的効果は世界平和にまでつながっていくものではないか。
実際に、アフリカではマラリアで年間150万人もの子供が亡くなるといわれている。
インターネット上で蚊帳をキーワードで検索したところ、ヒットしたのが菊屋だけだったと、日本国政府からセネガル共和国などに蚊帳を援助物資として20万張りほど贈りたいが見積もりを御願いすると言った依頼も受けてたいへん戸惑ったこともあった。
 

眠れない日本人が増える中で、自分を棚に上げて、アフリカの子供たちがぐっすりと眠れますようにと祈れば日本人の不眠は解消され、ぐっすりと眠ることができるのではなかろうか!と 、
眠りに関する哲学がしっかりした形になって行くのを感じさっそく、アフリカへ蚊帳を贈る運動などを呼びかけてみました。
 

おかげさまで蚊帳の売れ行きはどんどん伸びました。それに伴って、顧客からの問い合わせも増えてきたのです。
 

1998年、「ベッドでも使える蚊帳はないの」という要望に、ベッド用の蚊帳を開発。
2000年「蚊だけでなく、ムカデなどの害虫が入ってこない蚊帳はないの」という要望には、ムカデ侵入防止蚊帳を開発。
お客様からの声がたくさん寄せられ、地元に開学した静岡産業大学の当時の経営学部長=故・鈴木正也教授の分析(=21世紀の蚊帳の中の人間像)をも含めた著書「どうぞ、蚊帳の中へ」の出版もできました。
 

さらに、大きな違いをもたらしたのは、「洗濯できる蚊帳がほしい」という強い要望に対してでした。
 

古来から平織りで作られた蚊帳は水洗いには弱い。そこで平織りではない蚊帳は作れないかと考えたのです。
念頭にあったのは、この磐田近郊で遠州別珍などの織物が盛んだったこと。中でも、静岡名産のシラス漁に用いられる網や、米の炊飯や蒸篭に使われるカラミ織の技法でした。
 

顧客の要望に応えなくては、生きていけない。役に立ってこそ生かされるの願いで、何度も足を運んで、なんとか機屋(はたや)さんに納得してもらい、失敗を重ねながらも2002年、洗えるカラミ織の蚊帳を開発することができたのです。
かくして古くて新しい21世紀の蚊帳は、縫製技術と織物技術の統合で出来上がりました。
 

頼まれごとに対して、しっかりと応えることが出来れば、こちらも助かる。
これまでのお客様に頼んでお買い上げいただく営業から、頼まれごとを受ける営業へと菊屋の営業形態も変わっていったのでありました。


ともあれ、この地方の磐田に住んで、ここからインターネットなどを活用して顧客の要望を聞く。
 

そして、 地元に蓄積された織物技術と縫製技術を活かして、また、全国に発信できるようになったのでした。
インターネットという情報技術・生産力と現況の生産関係の矛盾で社会は発展していくという「社会発展の法則」と、そこに役に立つ地元地域のチカラ・「地域学」が合わさって新しい菊屋の蚊帳が世に出るようになったのです。


営業的に言うと「頼むこれまでの営業から、頼まられる営業のスタイル」に変わってきたともいえましょう。
 

また、片一方では、「マラリアで困っているアフリカの人々にも安眠を与えることで、自らもよく眠れるようになる。」ことも真でありましょうと、アフリカへ蚊帳を贈る運動もすすめてきました。


こんな風にして、地域力がアップして、世界中にも安眠が届けられるような仕事ができれば、「大いなるもの」はきっと応援をしてくれることでありましょうと、私なりの究極の損得勘定をしたのであります。
 


カメルーンの病院で頑張っていた古田望さんに贈った蚊帳 (上)


マダガスカル在日ラディフェラ.ジョスラン大使から蚊帳のプレゼントにお礼を受けました(下)


マダガスカル大使と


このようにして、国内だけでなく海外の人々の安眠のお手伝いをさせていただきました。


2009年外務省がJapan Video Topicsで、菊屋の蚊帳を採り上げ、7ヶ国語で「蚊帳で安眠』という3分21秒のビデオ作品を作成し、全世界へ配信してくれたのも、実に有難いことでした。


 

また、ソーシャル・エコマガジンとして知られる雑誌ソトコトが2010年6月号で「60の誠実な会社」に選ばれて掲載されたことも、不思議な力の応援であったのだと思っています。
 

2005年7月、京都西川の故・谷邦夫元特別顧問のお力添えにより、開館した「蚊帳の博物館」も世界の平和と安眠のシンボルにもなっています。この蚊帳の博物館の館長として蚊帳の文化・歴史・効果・効用について、各地へ招かれては、お話をさせていただくようになったのです。
  

そして、私は、安眠のための「蚊帳の循環」の出来上がった2009年を「蚊帳元年」と決めました。
 

蚊帳の循環 


すなわち、 命を守る蚊帳 → 脱・恐怖の蚊帳 → 蚊避けの蚊帳 → 安心の蚊帳 → 安眠の蚊帳 → 癒しの蚊帳 → 祈りの蚊帳 → 究めの蚊帳 → 命を守る蚊帳 蚊帳の循環を通して 世界中が安眠できますように!  と、菊屋は蚊帳を通して  【平和→安心→安眠→祈り→世界平和】 の循環をめざそうと誓ったのでした。
 


<正しいこと その証拠>
 

「我が身が助かりたかったら、人に尽くせ」と教えられた人の生きる道は確かに正しい理です。
 

1996年にインターネットを導入し、翌1997年より、いろいろな蚊帳を頼まれてつくっるようにったのですが、それが生業となって、子供たちも成長させていただき、こうして結構な生活をさせていただいいるのだから正しいことだと確信しています。


頼むよりも頼まれる方がずっと経営が楽になります。蚊帳の製造販売を通して、私は「みなさまの安眠の担い手」になり得たのだと嬉しく思います。
 

サムシンググレード、大いなるものは、より大きな世界の平和と人類のしあわせをお望みのようです。
 

そして、人間の手で破壊されている環境問題も、地球そのものにとても、その創造主である大いなるものにとっても、困った悩み事だと思います。


地球交響曲=ガイアシンフォニーで母なる【地球の声が聞こえますか?】と問われていますが、大いなるものの大きな思し召しに副えれば、もっともっと多くの不思議をお見せいただけることだと思います。
 

眠らなければ身体が持たないと分かっていても、眠れない。眠りたいがやはり眠れない、何とか眠らねばともがいている現代人にも一旦のうちどこかで、自分のことは棚に上げて、大いなるものと同じ思いで、「世界中の人々が平和で安眠できますように」と祈ることによってぐっすりと、良い眠りに導いてくれるものだと思います。
 

そして、もし眠れなくなったら、自分自身にも問い直してみれば、答え、解決策が出てくるのではないでしょうか。自然の摂理に副っているかどうか問い正せばいいのです。
 

そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながら、 人々に、心も身体もやすまる「安心と安眠」をお届けすることを生業として、これからも進んで行きたいと思います。
 

自分が安眠できるようになるためには、世界中の人々が安眠できますようにと、祈ることが有効であろうと考えアフリカへ蚊帳を贈る運動もはじめました。これで一人でも不眠が軽減されて、アフリカの子供たちがマラリアから救われることを祈りながら。
 

ちいさな、自分の生業が、大いなるものの御心にそって、元気よく、喜んで働かせていただければきっと上手くいくのだろうと、その考え方が、正しいことだと思います。
 

2008年の第11回「まちかどのフィランソロピスト賞の受賞は、そのことが正しいことだとお認めいただき、 小さな自分の大きな望みである「世界中に安心と安眠を届けることができる蚊帳は日本をそして日本人をも救う」 が認められてたいへんうれしく思いました。
 


平成20年 栄えあるまちかどのフィランソロピスト賞受賞に際して撮った写真 
 

この年の受賞者は、成人の部で、競馬騎手の今野忠成氏と私。そして特別賞には当時阪神タイガースの赤星憲広氏と三人だった。歴代の受賞者の皆様と比べると、些細な私は本当に恥ずかしく思えたが、このちっぽけな私の受賞なればこそ、現在、希望を失いかけて、もがき苦しんでいる最中の人々に夢と希望と、そして安眠のきっかけが与えらるのではないかしら?と受賞の意味を考え直しました。
 

ともあれ人々に役に立つ受賞であればたいへんうれしく思えばいい。と言い聞かせた。
 

翌・平成21年には磐田市出身で卓球日本代表の水谷隼選手、Jリーグのジュビロ黄金時代を築いた元サッカー日本代表の名波浩選手らとともに磐田市民賞まで頂戴しました。


そんな、蚊帳を通しての安心・安眠の提供者として認めていただけるようになったのですが、この蚊帳の精神を基に、2009年(平成21年)9月に故・加藤勝也先輩のご指導を賜り「ねいるケアあんみん枕」を世に出させていただいた。
 

確かにふとん屋の倅(せがれ)だからかもしれませんが、自分の力ではない大きな力が、不思議なご縁が、私を導いていてくれるのに、感謝しています。
 

インターネットをいち早く導入でき、皆様のご要望にお応えする形で、オリジナルの蚊帳と枕が出来上がり、人々に安らぎと安眠をお届けできるようになったのは、先代・亡き父の志〜能力開発研究所の精神を引き継いだことにもなります。

 
2010年、平成22年度から、静岡大学人文学部経済学科の非常勤講師として【眠りの善し悪しが 人生のバロメーター】〜 寝ても覚めても Be Happy を目指し 〜 眠りを大切にした生き方 をテーマに講義をさせて頂くようになった。
 

これも、眠りを大切にしよう!と、働きかけることになるので、経済学科の学生さんたちへの講義内容を練るのはなかなか大変ですが、感謝してやらせていただこうと思っています。
 

日本睡眠学会でも眠れない原因の50%は身体的原因、35%は心理的原因、残りの15%は寝室の物理的環境と発表されている通り、心理カウンセラーとしての学びが必要だと感じていたところへ、幸運にも、平成22年度から心理療法について、日米韓脳活性化プロジェクト心理学部門主席研究員でありオーガナイザーをされカウンセラーのカウンセラーでもある池田誠二郎先生に師事させていたけた。(こちらは家内と二人、席を並べ、学ばせて頂きました。)
 

「セレンディピティ」(英語:serendipity)
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。 平たく言えば、もがき苦しんでいる人が、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことを「セレンディピティ」と言うようですが、ノーベル賞受賞者も注目しているこの「セレンディビティ」は安眠を手に入れる能力でもあるのです。
 

池田先生からは団欒の大切さについて心理療法の視点から多くの教えをいただきました。


団欒、その基礎は夫婦愛和、家内と二人で力を合わせて人々に安眠をお伝えできるように頑張らせていただきたいと思います。
心理療法の課題として、●総合心理療法によるカウンセリング技術 ●精神心理検査技術 ●認知行動療法技術 ●社会性訓練技術 等がありましたが、3年間の心理療法士としての養成課程を修了し、平成25年2月14日に行われた試験の合格をもって、3月に卒業・終了証書を家内とともにいただきました。
 


卒業式(H25.3.22) 写真の右は、心理療法研究所の所長・池田誠二郎先生


  三年間、家内と席を並べ、池田先生から、心理療法士としての様々な技術を学びながらも、一方では先生のクライアントとして、人生で出くわす問題事への対処の仕方、夫婦のあり方、団欒の構築の仕方など様々なお導きを頂戴しました。
 

「人生経験を積まなければ、カウンセリングはできないよ」と先生はいつも言われていましたが、人生経験とこの学びを血肉にして、人々が安心して安眠できるように「安眠提供企業」を目指し頑張ろうと、新たな旅立ちの日となりました。
 

ある程度の人生経験を積んでからの総合的な心理療法の学びは、睡眠改善技術向上にたいへん役立ち、認知行動療法をもとりいれた【安眠講座】クスリに頼らない安眠術や枕つくりのワークショップ にも活かしている。心理療法ならびに睡眠改善技術の学びと実践を、カラミ織りにしながら、菊屋の蚊帳のように美しく、この人生を織り上げて参りたいと思います。


 

平成23年2月 写真家:山田真梨子さんの作品
小我から大我へ この道を歩ませていただかねば。
世界中が平和で安眠できますように!
 

その頃は毎年、3万人を超える自殺者と社会問題になっていました。そんな悲しい事態を打開すべく、国を挙げて、自殺予防週間(9月10日〜16日) ・ 自殺対策強化月間(3月)を設けている。
 

また、自殺に至る 「自殺 ←  ウツ ← 不眠」 に対して 「眠りを大切に」と 国際的な「ワールド・スリープ・デー」にあわせて「睡眠の日」と定め、その睡眠の日をはさむ2週間が「睡眠健康週間」として制定され、各地で「睡眠キャンペーン」が展開されるようになった。 かくして、睡眠改善は社会的な重要課題となった。
 

しかし、このような「睡眠キャンペーン」はあまり上手くいっていない。病院と製薬会社が潤っているだけで、費用をかけた割には、自殺者は減少していない。安眠できないで苦しんでいる人は増えているのが現実だ。
 

生き方全体を見直す時が来たのであろう。
 

危機を回避できるか否かの岐路(カオス・ポイント)は2012年だといわれてきた。マヤ暦も2012年で終わっている。人類が目覚める時が来たのだろう。
 
そこで、2011年(平成23年)11月 映画「降りてゆく生き方」の上映会をした。





「この降りてゆく生き方」とは、人それぞれが、自分の個性・特技を活かしきって、我も人ものために、支え合って行く生き方です。
 

人間とその欲望がつくりだしてきた「マネー万能」の共同幻想と、マネーが極大化したグローバリズムの正体を見極めて、そこから脱し、私たちが生きてゆく上で本当に大事なものが何かに気付き、そして、昇ってゆく時代の終焉を迎えた現代日本人が、下っていく時代のための新しい生き方を発見してゆくこれからの生き方です。
 

お金に縛られることなく、個性を生かした楽しい仕事=自然、健康、安心・安眠と団らんを大切にして、新たな希望を人々が見いだせるように、安心・安眠のスリーピングネット、安らぎと癒しのヒーリングネット、世界の平和と人類の幸せを祈るプレイニングネットとしての菊屋のオリジナル蚊帳をを日本国内はもとより、海外にも送り届け続けるのが私の使命なのだと強く感じている。
 

そして、その蚊帳の精神でつくった、睡眠改善のためのロハスな枕=「ねいるケアあんみん枕」をベースとして、人々と眠りの大切さを分かち合いながら「あなたにぴったりの枕作りのワークショプ」、安眠講座=「クスリに頼らない安眠術」を力強く展開して参る所存です。
 

社会的な重要課題となった睡眠改善の道具とスキルを提供しながら、人それぞれが、自分の個性・特技を活かしきって、我も人ものために、支え合って、希望をもった毎日を生きていけるよう働きかけること。これが私の使命です。
 

このようにインターネットを活用しはじめ1996年より私の仕事内容は大きく変わり、菊屋を「ネットの蚊帳屋時代」を築いてきました。
そして、藍染・ヘンプ・カラミ織の蚊帳はこの先100年後にも残したい商品に選定され、菊屋は平成の最後に、蚊帳を極めることができました。


その時代をまとめてみると
1996年5月22日、40歳の誕生日にHP anmin.com を開設したのです。ここが大きなターニングポイントとなりました。


月日は流れて、2017年私も家内も還暦を迎えました。あっという間の20年。安眠の道具である蚊帳で育った4人の子供たちが還暦のお祝いをしてくれました。

還暦のお祝い

「ネットの蚊帳屋時代」は私の40歳の誕生日に「あなたにぴったりの枕さがします」というHPをつくったのが始まりです。


爾来

1997年 インターネットでの蚊帳の販売開始

2000年 ムカデ対策・六面体の蚊帳を開発・発売
    朝日新聞「天声人語」をはじめ、メディアに登場 

2004年 大麻(ヘンプ)でカラミ織の蚊帳を開発

2005年 蚊帳の博物館をオープン

2009年 まくら博士・加藤勝也氏と「ねいるケアあんみん枕」を開発
    まちかどのフィランソロピスト賞受賞 磐田市民賞受賞 

2011年 身体に支障をきたし頸椎の大手術 

2012年 【講座】「クスリに頼らない安眠術」を旋回基軸として確立

2013年 旋回基軸に「枕つくりのワークショップ」が旋回 

2015年 40年ぶりに 三島屋ふとん店時代の「本物ふとん」を復元

2018年 藍染ヘンプの蚊帳が100年後にも残したい商品に選定


「ネットの蚊帳屋時代」の蚊帳についての詳細 
   蚊帳について 書かせていただきました。



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